「自己肯定感」って何? 少し違う角度で見てみよう

Milk
こんにちは。Milkです。
世の中では、「自己肯定感を持て!」とよく言われますね。

まず、「自己肯定感」とは一体なんなのでしょう?

自己肯定感とは、自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉です。
(出典 実用日本語表現辞典)

自己肯定感とは、自尊感情(Self Esteem)、自己存在感、自己効力感などの言葉とほぼ同じ意味合いで使われています。
(出典 国立教育政策研究所 『自尊感情』?それとも『自己有用感』? 平成27年)
参照:自己肯定感とは|国立青少年教育振興機構

このように書かれていました。

簡単に言うと、「自分に自信を持つことが出来る」と言うことでしょうか。

さて、この感覚を持つことは、現代の日本人は他国に比べて低いと言われています。

私も、なかなか「自分に自信を持っている!」なんて大きな声では言えません。

この感覚って、必ず持つべきものなんでしょうか?

「自己肯定感」をどう捉えるか

「自己肯定感を持ちなさい。」「自分に自信を持ちなさい。」

そうは言われても、逆に窮屈になってしまう感覚に陥りませんか?

私はそのように言われても、

Milk
だ・・・だって。
自分に自信持てないし、今すぐ持ちなさいなんて言われてもやり方が分かんないよ!

と感じます。

「自己肯定感」という言葉が怖い

「自己肯定感」

そもそも、この言葉がとても威圧的ですね。

「自分に自信を持たなければならない」という感じがします。

自分のここが強みだ!とかハッキリ分かれば良いですが、自分に自信がない人は、「だって、自分より凄い人ってたくさんいるじゃない。」って思います。

私も思います。

仕事をしていても、人をまとめるのが上手い人、効率よく時間を使える人、博識な人・・・

自分より勝る人は多くいます。

どう考えても、そんな人に対して「私はこういうところが強みなんです!」とは言い出せません。

どうしても「自己肯定感」って持たないとダメですか?

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「自己肯定感」を大きく捉えない

では、「自己肯定感」を持てないことは何か弊害があるのでしょうか。

「物事をマイナスに捉えがち」というのが、「自己肯定感が低い」と言われることにつながるのですが、私はそれはそれでも良いと思っています。

その部分より問題なのは、「自分の存在価値を他人に委ねる」という部分です。

周りから認められたと感じた時に、初めて「自分に価値がある」と感じてしまう人。

この感覚は、少し危険な考え方です。

なぜなら、周りから評価をもらえないと「自分は存在する意味がないんだ・・・・」と思ってしまうからです。

よくよく考えてみて下さい。

周りの人から、存在を認められないと私たちは生きてはいけないのでしょうか?

この世にいらない存在なのでしょうか?

本来、他人が自分の存在を「認める/認めない」という権利はありません。

周りがどのように言おうと、「人間の価値」を評価するなんて権利は存在しないのです。

あくまで、周りの人が評価している(と感じる)のは、あなたの表面的なこと。

例えば、

  • 仕事について
  • 趣味について
  • 容姿について

などです。

確かに、これらのことで何かマイナスな事を言われるのは、とてもがっかりします。

また、これ以外にも

  • 性格が合う合わない
  • 考え方が合う合わない
  • 価値観が合う合わない

などもあるでしょう。

だからと言って、その人に合わせるのは少し違いますし、その人はあなたが「存在するのを許可する!」なんて権利は持っていません。

「存在価値」は揺るがないもの

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こうやって考えていくと、私たちの「存在価値」と言うのは誰も評価をしたり、価値を決めたり出来るものではないことが分かります。

誰が言うから「存在価値がある」とか、誰が言うから「存在価値はない」ということはないのです。

地球がそこに存在するように、あなたの「存在価値」「存在意義」は、揺るぎなく存在するものなのです。

「自己肯定感」とは、自分に自信を持つことです。

これを持つことで、自分の「存在意義」を高めようと考えます。

でも、そこまで大袈裟に考えることもないのです。

「存在価値」や「存在意義」は、他人によって形が変わるものではないのですから・・・

それが理解出来れば、無理に「自己肯定感」を意識する必要もありません。

そのうちに周りから何か言われても、「自分は自分」と思えるでしょうし、「自己肯定感」は自然と育つでしょう。

最後に

私は非常に焦っていました。

特に仕事においては、周りは優秀な大学を卒業した人で埋め尽くされており、私は学歴コンプレックスがあったのです。

また、地方から上京してきて慣れない中、「こんなことも知らないのか! 常識だろ!」なんて言われることもしばしば。
(因みに、地方にはそんな慣習がなかったり、物が存在しなかったりしましたので、私にとって「常識」ではありませんでした。)

でも、周りに認められるにはひたすらに勉強するしかない!と、どんどん追い込んでいき、他人と比較を始めたのです。

Milk
俺は、あの人に全然かなわない。きっともっと勉強してるに違いない。
俺が休んでる暇なんてないし、このままでは誰にも認められないことになってしまう・・・
もっともっとやらなくちゃ。追い込まなくちゃ。

周りからプロジェクトリーダーを任せられたり、仕事で評価をしてもらえた時に、やっと自分の価値を見出しました。

でも、そもそもが間違っていたのです。

私から「仕事」を抜いてしまったら?

私は「存在価値」が行方不明になってしまいます。

そして、過労から「うつ病」と「身体表現性障害」になりました。

復職する前に、ある本から学んだのです。

「仕事 ≠ 人間の価値」と書かれていました。

私は仕事をどんどん抱え込んで行きました。

それは、「自分の価値を認めて欲しい」という気持ちの裏返しだったのです。

堅い言葉で言えば、「自己肯定感」を持てていなかった。

でも、それは本当の「自己肯定感」ではありませんでした。

もっと簡単に。シンプルに考えれば良かったのです。

「自分の価値は誰からも評価されるものではないよ。」 「自分は自分だって思っていいよ。」

その確固たる「真実」を、自分の心に語りかけてあげましょう。

それでは、今回はこの辺で。

adios!!

One Comment

  1. 人は弱いもので、相対的に物事を考えてしまいがちです。例えばキャベツが250円だと高いと思ってしまいます。これは普段は150円だという基準値(アンカー)が心の中に出来てしまっているからです。
    俺の年収は150万円しかない。これも世間の平均年収がアンカリングされているからそう思うのです。
    でも例えばキャベツが50円でも食べたくないのであれば必要でしょうか?
    年収が高ければ本当に幸せなんでしょうか?
    普段から相対的ではなく、絶対的に物事を考えるようにしましょう。
    そうすれば人の目を気にすることが無くなっていって、もう少し気楽に生きていけるでしょう。

    みうらじゅんさんが推奨する「比較三原則」というのがあります。
    「他人と過去と親」この3つと自分を比較してはいけないのです。

    ちなみに僕は今はうつ病ですが、基本メンタルは「俺様天才!」です(゚∀゚ゞ)

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